禅僧の書 白隠

図19 白隠禅師墨跡

 白隠は数多くの自画像を描いているが、その賛が実に素晴しい。

  千仏場中為千仏嫌  千仏場中、千仏の嫌うところとなり
  群魔隊裡為群魔憎  群魔隊裡、群魔の憎むところとなるも
  挫今時黙照邪党   今時黙照の邪党を挫き
  鏖近代断無瞎僧   近代断無の瞎僧を(みなごろし)にせん
  者般醜悪破瞎禿   者般醜悪の破瞎禿
  醜上添醜又一層   醜上醜を添う又一層

 一切の仏に嫌われ、悪魔の群に憎まれようと、邪曲の禅家をみな殺しにせずんばやまぬというのである。白隠は生涯この賛を書きつづけた。この恐るべき気魄、積極攻撃の勇猛心はどこから来るのか。それは、禅の核心を徹底活捉した力量のいたすところであり、正法挙揚の情熱から発したものであったろう。常識相対の立場における闘争心とは全く次元を異にする。

 そして賛の文意にみなぎる気魄と力量は、白隠の書にこそ顕著に認められるのではあるまいか。

 白隠は室号を「闡提(せんだい)窟」と称し、みずからを「闡提翁」といった。闡提とは一闡提伽(Ichantika)の略、信不具足と訳される。衆生済度のために、ついに成仏せず、敢て地獄にとどまろうとする。切なる菩提心の故である。このような烈々たる気慨と情熱が白隠の藝術を特徴づけていると思う。

図20 白隠筆木額 

 白隠は四十二歳の秋、一夜こおろぎの声をきいて悟り、覚えず声を放って号泣したと、「年譜」に記されている。自身「はからずもこの重大事に撞着し、豁然として掌上を見るが如し。作麼生(そもさん)かこれ菩提心、法施利他の善業これなり」といっている。豁然として徹底悟了した白隠のそれ以後の、いわゆる果行格の人生は、鬱勃たる菩提心より発する、利他法施の実践であった。白隠のなした厖大な書画も、その法施の行業にほかならなかったのであろう。白隠の表現は次第に力強く恐るべき迫力を増してゆく。なお注意すべきは晩年の作に温々たる慈悲の心がにじんでいる点である。いったい禅藝術の肝心はこの大悲より発する働きに在る。

 白隠は「さし藻草」の中に、「遅筆なる者は必ず字形正し。頓く書く者は必ず筆勢乱る」といっているが、自身じっくりとした運筆を期したのであったろうか。またその若き日の勉学について「詩文は李・杜・韓・柳を友とし、尊円・養拙を学ぶ」と述べている。「尊円」とはいうまでもなく尊円親王であり、「養拙」は寺井辰(一六四〇ー一七一一)、字は子共、養拙斎と号した。養拙の一派は大いに上方に普及したというが、書学の上に見逃すことのできない彼の業績は「(ごう)頭標注内閣字府」五冊を公刊したことである。白隠の初期の草書には養拙の流風をうかがえるように思う。

 白隠はやがて(二十二歳)書画を見る上の革命的大事に遭遇する。白隠に強烈な感動を与えたのは大愚宗築の書であった。それは決して巧妙なものではなかったが、白隠は驚喜して「徳の徳たる所以にして、全く文字の巧拙にかかわらず」と嗟歎した。白隠は表現の根源に見透し、墨跡の真価について開眼を得たのであろう。なおこのことにつき「壁生草(いつまでくさ)」には「寺に帰りて常に秘蔵し持ち来れる筆道の伝授および書画、処々において乞い請け、或は自ら写し来れる筆墨数十枚、一束につかね持ちて卵塔に到り、火を放ちて一炬に灰燼となす。これより『禅関策進』を師とし、昼夜に勤めて精練刻苦す」と記されている。

 ここに白隠書業の態度は根本的に転換したわけである。

図21 白隠禅師墨跡

図22 白隠「隻手音声法語」(部分)

 なお、かつてウィーン、ケルン等において禅画展が催されたとき、特に白隠の作が欧州人の目を引いたとして、次のような新聞の記事を紹介している。

 この展覧会で見たところ最も優れた禅画家は白隠慧鶴である。彼は八十四歳の高齢に達してなお非常にダイナミックな作品、初祖達磨やその他仏祖の種々の像(頂相)を描いている。頂相の他に、講話(公則公案)の中で何らかの役割を果しているものとか、象徴的な性格を有していた物体――たとえば灯燭台と無尽灯など――の画もある。〈労働者新聞〉

 白隠慧鶴は禅運動の精神を指導した人であった。今日ヨーロッパ的観点から見るとこれ等巨匠こそ、藝術家中の藝術家、即ち、中国の先達が禅画と云っていたものを遙かに凌駕し、今世紀まで続いている神秘的で予言的な藝術を創造した天才的な書家であり画家である。〈ザルツブルグ通信〉 小林秀雄は、「日本人が禅の思想といろいろに格闘した末、遂に白隠に至って、これを本当に吾が物とした。白隠の絵や書を眺めていると、そういう感が自ら生ずるのである。これは不思議な名状し難い感じである。大雅は、白隠から、その思想を学ぶ必要があったろうが、白隠が大雅から画を学んだとは恐らく俗説に過ぎまい。白隠の比類を絶した絵を、日本の絵画史ではどう扱うかは、美術史家が未だ本当には手を付けていない難題ではあるまいか。手を付けずに済まされる問題ではないと思う」と述べている。