禅僧の書 至道無難
昭和二十二年、鎌倉の松ケ岡文庫から「自筆本無難禅師道歌」が複製出版された。他の禅者に見られぬ優麗な書風である。強いてこれに類する禅者の書といえば、私は芭蕉を挙げたい。さてこの複製本には鈴木大拙の解説があるが、大拙翁はその中で、近世日本の臨済禅の復興は白隠によるが、それは彼一代の功績ではなく、白隠に先行して、愚堂――無難――正受とつづいた宗匠たちによってその礎が築かれたのだと述べている。まことに臨済正宗継承の歴史に、至道無難禅師の存在を重視せねばならないのである。
無難禅師の伝記としては、禅師遷化百年後に編纂された、東嶺の「開山至道無難庵主禅師行録」が唯一のものとされる。「行録」によれば、「師の性、方に適せず、時と合うことなく、文章を仮らず、縄墨に拘らず、一生廉謹にして、栄名を求めず、言行簡直にして自ら上古の風あり」また「師、庵中、縄墨に拘らず、衣具を貯えず、門庭峭峻にして、衲子崖を望んで退く」とあり、禅師の風格とその激烈な禅風がしのばれる。
無難禅師はあるとき衆に示して、修行とは正知見をもって業障を滅除することだ。日夜、金剛王の宝剣をふるって切に此の身を殺せ。此の身亡ぶるとき、大解脱大自在の場に至るのだ、と説いている。禅師の揮毫もこの「大解脱、大自在の場」における働きによるものであったろう。
無難禅師の法語の主なものは「即心記」と「自性記」であるが、これらは公田連太郎著「至道無難禅師集」に収められている。公田先生は、これらの法語を南隠老師や黙雷老師が提唱されるのを聴き、またみずから何十回となくくり返し読んで、甚深の妙趣を知ったといわれる。そして「此の法語は、飯を嚼んで嬰児をやしなう老婆心切の中に、耕夫の牛を駆り、飢人の食を奪うの大機大用を具えている」と記している。

図17 「自筆本無難禅師道歌」より

図18 至道無難禅師墨跡
次に「無難禅師道歌集」から抄録しておく。
道を問ふ
主なくて見聞覚知する人を
いき仏とはこれをいふなり
修行に力つきし人
身の破れはてたる時のこころこそ
ぢきに万法一如なりけれ
道をしへける人に
道といふことばにまよふ事なかれ
朝夕おのがなすわざとしれ
心
神仏また天道と名をかへて
只何もなき心をぞいふ
無題
人の身の消えはつる時天地と
ひとつになるを道心といふ
十悪に五逆の罪を作りそへて
ぢごくのかまのそこはぬけけり
坐禅
せぬ時のざぜんを人のしるならば
何か仏の道へだつらん
罪をくるしむ人に
おもふままに此の身につみをつくらせて
ぢごくの中へつきおとすべし
大道にいたりぬる事を
すこしなりと身によしあしの有るものは
本来のものとならぬなりけり
三世不可得
いろいろにあらはれ出づる心かな
心のもとは何もかもなし
あまた道をたづぬる人に
さかしまに阿鼻地獄へは落るとも
仏になるとさらにおもふな