第七章 氣について

 包世臣は「書の大局は気を以て主となす」といい、方薫は画を論じて「必ず気を以て主となす」といった。古くすでに曹()の「典論」に「文は気を以て主となす」とあり、気は東洋藝術全般を貫く根本的な要素とされてきた。「気」とは生命力であり、統一力をもったハタラキである。「淮南子」原道訓には「気なるものは生の充なり」と説かれている。

 姚配中は「我が気果して浩然なれば、大小可ならざるなし。使転、初終を貫き、形体偏橢に随う」と詠じ、包氏はこれに注して「書の使転は気を行う所以なり。気得らるれば則ち形体これにしたがい、志のごとくならざるなし。古人の緘秘開く。字は骨・肉・筋・血あり。気を以てこれに充つれば、精神すなわち出ず」と述べ、気を書作の第一義としている。梁山舟もまた「字は気あるを要す。気あればすなわち自ら勢あり、大小長短、高下欹整、筆のいたるところに随って自然に貫注して一片段を成す」と、ほぼ同様の意見を示している。

 韓愈の「李よく)に答うる書」に、「気は水なり。言は浮物なり。水大にして物の浮ぶは大小ことごとく浮ぶ。気の言における、なおかくのごとくなり。気盛なればすなわち言の短長と声の上下とは皆宜し」とあり、あたかも、包世臣・梁山舟における気論の先蹤をなすごとくである。

 ところで、梁山舟も、包世臣も、気が心身に充足し、発して節に当る、いわゆる気満を体得するためには、技術的修錬を前提とせねばならぬと主張する。山舟は「気は須らく熟より得来るべし」といい、包氏は「左右牝牡より功力を用いるに非ざれば、豈能く倖に気満を致さんや」と述べる。そして気満によって無礙自在なハタラキを具現する消息を、拳法の達人をもってたとえている。包氏の書論は兵法に比して語ることがしばしばである。その伝によれば、常々兵家の言を喜び、口懸河のごとくであったという。

 「天狗藝術論」を著わした佚斎(ちよ)山子が「事熟さざれば気融和せず、気融和せざれば形したがわず、心と形と二つになりて自在をなす能わず」という、その「事」とはすなわち技術であろう。「事の熟するにしたがって気融和し、そのふくむ所の理おのずからあらわれ、心に徹してうたがいなきときは、事理一致して気収まり、神定って応用無礙なり、これいにしえの藝術修業の手段なり。故に藝術は修練を要す」という。気が満ちている最善の状態は、気が融和して全身の末端にまでゆきわたり、全身の細胞は活性化し、すべての神経が鋭敏に反応し得る状態であろう。

 樗山子はまた「荘子」達生篇の闘雞の話を武道の極則と看る。そして「しかれども荘子剣術のために論ずるにあらず。ただ気を養うの生熟を論ずるのみ。理に二つなし。至人の言は万事に通ずるものなり。心を付くれば一切の事みな学問とも剣術ともなるべし」という。荘子に見る闘雞の話とはおよそ左記のようなものである。

 紀渻子が王のために闘雞を養っていた。十日にして王は紀渻子に問うた。

ーー雞はもう闘わせることができるか。

 渻子は答えた。

ーーいやまだです。今のところ気をたのみ、しきりに強がっています。

 それから十日経て、王はまたたずねた。渻子は答えた。

ーーまだです。他雞の響や影に対してすぐ身がまえます。

 また十日、王の問いに答えて

ーーまだです。相手を見ると疾視して気を盛んにしています。

 その十日後の問答、

ーーもういいでしょう。相手が鳴いても変ることもなく、あたかも木雞のようになりました。いよいよその徳全しというところです。他の雞はこれを見て逃げ出してしまいます。

 林希逸は「此れは気を守るの学を言えるなり。雞を借りて以て喩となすのみ」と注しているが、樗山子はこれを養気の過程と見ている。闘雞は木雞のようになって、「まさに志気和平にして激せず励せず」気は真に全身心に融和遍満したわけであろう。劉熙載が、書は力実なるところからやがて気、空になるを要すといっているが、木雞に至ってその空の状態に達したのである。空とは、王虚舟の言葉を借りれば「須らく気力を使い尽して、力を用うる所なき処に至り、乃ち天則を見るべし」ということになろう。

 劉勰(りゅうきょう)の「文心雕竜」にも「養気」の篇があり「文藝を吐納するは務むること節宣に在り。その心を清和にし、その気を調暢し、煩なれば即ち捨て、雍滞せしむることなかれ」と述べられている。「節宣」の語は「左伝」昭公元年の記事に見られる。「ここに於て、力その気を節宣し、壅閉湫底するところありて以てその体をつかれしむるなかれ云々」とある。「節」は調節であり、「宣」は、散也、通也と解される。劉勰は心気暢達すべく養気の工夫を説いたのである。そして、閑適の境地において筆を進め、筆鋒は磨ぎたての刃のようであり、庖丁が見事に牛を割いたように、文理に従って滞ることがなければ、これはまた養気の一法であるといって文を結んでいる。

 益軒は、気を養う方法について具体的に述べる。「養気の術、つねに腰を正しく据え、真気を丹田におさめ集め、呼吸をしずめてあらくせず、事にあたっては、胸中より微気をしばしば口に吐き出して、胸中に気をあつめずして、丹田に気をあつむべし。かくの如くすれば、気のぼらず、胸さわがずして、身に力あり」といい、「藝術をつとめ」「技術を行うもの」はこの方法を知らねばならぬという。佐藤一斎が「臍を受気の(てい)となせば、即ち震気これよりして発しぬ。宜しく実を臍下に蓄え、虚を臍上に函れ、呼吸は臍上と相消息し、筋力は臍下よりして運動すべし。思慮云為、皆ここに根柢す。凡百の技能もまた多くかくの如し」というのもやはり丹田を充実させよということである。

 「摩訶止観」に、「丹田はこれ気海にして」「もし心を丹田に止むればすなわち気息調和す」とある。佐藤通次著「身体論」には、「丹田は身体の一点と考えられると共に、全身を一如の生動たらしめる根源の一である」という。また「肉体を身体に高める直接の通路は呼吸のみである」とし、左の文を挙げている。  

 人の一呼一吸は天地の気なり。気は天地に在り。これを吸すれば則ち(おさ)まる。これ天地の気われに通ずるなり。これを呼すれば則ち闢く。これ我の気、天地に通ずるなり。〈湛文簡公〉

 人は呼吸によって天地の間に生存し得る。そして気を養う上に呼吸のあずかるところは大である。「荘子」にも「真人の息は踵を以てす」とあるが、古人は人間の道として呼吸の工夫につとめたことが察せられる。

 医学博士村木弘昌氏は「大安般守意経」の研究を発表しているが、「安般」の「安」はanaで入息、「般」はapanaで出息、「守意」はsatiで守意。釈尊がこのアナパーナ・サチ(安般守意)を行じたことが、成仏のための重大要因であったと述べている。博士の著述の中に「アナパーナ・サチに対する医学の観かた」という一章がある。呼吸運動が、自律神経系、ホルモン系、リンパの流れに影響を及ぼし、ガス交換、血液循環の作用を行い、人体の約六十兆の細胞の生命力を支配すると説かれている。

 書の気は、「気象」の語をもって論じられることが多い。気象とは作者の精神性が一つの性格として感じられることである。次に諸例を挙げる。

〇十七帖は、その筆意を玩すれば、従容衍裕にして気象超然たり。〈朱熹〉
〇八関斎功徳記は気象森厳。〈盛時泰〉
○長公書王仲儀哀詞は体度荘安、気象雍裕、中和大成、書の聖なるものなり。〈祝允明〉
○西台(李建中)の書は、深厚温醇、盛徳愚のごとき気象あり。〈呉寛〉
○皇象の急就章は夢得のいわゆる規摸簡古、気象沈遠なるものなり。〈王澍〉○米老は気質はなはだ重しと雖も、子路初めて孔子に見えたるときの気象を免れず。〈同右〉
○顔氏家廟碑は泰山巖々の気象をもつ。〈同右〉
○蔡君謨は蓋し体を平原より得て、才質稍弱し。故に気象はその博厚を遜る。而も頗る晋人冲虚の度あり。〈馬宗霍〉
○夫れ唐人筆画の気象は、これを六朝に較ぶれば浅侻殊に甚し。〈康有為〉(祝嘉は「侻は読んで脱の如し。是れ軽易、簡易の意思」と解す)
○沈宗学の書は冠裳佩玉の気象あり。〈詹孟挙〉
○平百済国碑は雄偉俊抜、真に万国衣冠して冕旒を拝するの気象あり。〈楊惺吾〉

 また「気格」の語も用いて書を論ずる。たとえば「述書譜」に「稽康の書は精光人を照らし、気格雲を凌ぐ」といい、「宣和書譜」に杜牧の行草書を評して、その「気格は文章と相表裏す」という。「竹雲題跋」には顔真卿の争座位帖について「気格まさに蘭亭と並峙すべし」とある。「書概」には霊和殿前の柳は姿致に富み、人々はこれを愛するけれども、孔明の廟にある柏は気格を有し人に敬の心をおこさせる。書に趣致あるはもとより好ましいが、最も大切なのは気格である、と論じている。因みに霊和殿は斉の武帝のとき建てられた。張緒は数株の柳を献上したが、枝が長く絲縷のようであった。武帝は霊和殿の前にこれを植え、「楊柳の風流愛すべし」といってこれを賞玩したという。杜甫詩「蜀相」に、諸葛武侯の廟はどこに訪ねたらよいのか、錦官城外の柏の樹がしんしんとしげるところがそこだ、という句がある。常緑の喬木である柏の大樹はまことに「敬」を生ぜしむることであろう。劉氏の「詩概」には、「格」は品格の格であり、また格式の格であると説いているが、書は品位ある風格をもつとき、いわゆる気格が認められるであろう。

 書はまた「骨気」が重んじられる。劉煕載は「書の要は骨気の二字に統べらる」とまでいっている。「書譜」にも「務めて骨気を存すべし」とあり、骨気の劣ったものは「芳林の落蘂、空しく照灼して依るなく、蘭沼の漂萍ただ青翠なるのみ」とたとえられる。梁の武帝は「蔡邕の書は骨気洞達、爽々として神力ある如し」と評し、張懐瓘は「風神骨気ある者を以て上におき、姸美功用は下におく」という。また東坡は「永禅師の書は骨気深遠」と称し、李嗣真は「文舒の西嶽碑はただ姸冶を覚ゆるのみにして、殊に骨気なし」という次第である。

 次に馬宗霍は、「夫れ韻と度とは皆すべからくこれを筆墨の外に求むべきなり。韻は気より発し、度は骨より見わる。必ず内に気骨ありて以てこれが幹となる。然る後に韻歛まり度凝る。ただ韻を以て勝るのみならば則ち韻は気より浮く。ただ度を以て高きのみならば、度は骨より離る。気より浮けば韻必ず薄し。骨より離るれば度必ず散ず」と、気・韻・度・骨の関係を述べ、「気骨」を根幹とする考えを示した。

 謝赫は「画六法」の第一に「気韻生動」を挙げた。田辺古邨先生は「この気韻生動の語はそのまま書の第一条件をも示している。すなわち生命力のリズムが生き生きと動くということで、これ無しには書の用筆は無い」と断じ、「気とは生動してゆく人間内容そのものなのである」と書かれている。翁の最終書論の一節である。

 「気韻生動」については、画人において議論が盛んである。郭若虚の「図画見聞志」に次のようにいう、「六法の精論は万古移らず。然り而して骨法用筆以下の五法は学んで能くすべくも、その気韻の如きは必ず生知にあり。固より巧密を以て得べからず、また歳月を以て到るべからず。黙契神会、然るを知らずして然るなり。試みにこれを論ぜん。ひそかに古よりの奇跡を観るに、多くはこれ軒冕才賢、巖穴の上士にして、仁に依り藝に遊び、(さく)を探ね深きを鉤し、高雅の情一に画に寄せしものなり。人品すでに高ければ、気韻高からざるを得ず、気韻すでに高ければ生動至らざるを得ず」。このように気韻の発源は筆者の人格徳性にあるとする。郭若虚には「心印説」があり、作品は霊府より出で、成立した形はその心と一致すると説く。金原省吾翁は、書もまた心印であるとし、「心印の位置に高めることが、書表現の意味である」と述べている。

 董其昌も、気韻は天授であり、生まれながらにして知るものだというが、しかし彼はまた「気韻は学得するところあり」とし、それは「万巻の書を読み、万里の路を行き、胸上より塵濁を脱去」することだといっている。

 蔣()の「伝神秘要」には「筆底深秀なれば自然気韻あり。これ人の学問品詣に関係す。人品高く、学問深ければ下筆自然書巻の気あり。書巻の気あれば即ち気韻あり」という。

 唐志契は、気・韻・生・動の一々について説き、「気なるものは筆気あり、墨気あり、色気あり、倶にこれを気という。而してまた気勢あり、気度あり、気機あり、この間即ちこれを韻という。生とは生々窮まらず、深遠にして尽し難し。動とは動いて板ならず活潑なり」と述べている。

 唐岱は「六法中もと気韻を以て先となす、しかして気あれば則ち韻あり」といい、方薫も「気韻生動は第一義たり。然れども必ず気を以て主となす。気盛なれば則ちに縦横揮灑、機滞礙なく、その間韻自ずから生動す」という。この両人は気韻生動の根本を気とする考えである。

 田中豊蔵は「中国の論画家が絵画の第一標準義を美と言わず、又単なる快といわず、直ちに気韻生動といってくれたことに対して、満腹の喜悦と感謝とに堪えきることが出来ない。(中略)藝は概念ではない。況して形式ではない。ただ気韻生動」であると記している。

 気は人間内容から発する内実さながらの真風である。中華書局印行の「辞海」には「精神の外に発散するもの、これを気という」と解される。また無形無相である気を感受し得るのは観者の気であって、「辞源」の解に「気は形質の見るべきものなくして相感応するもの」という所以である。

 人間の端的な表現である書の上にこそ、おのずから或る種の気が感得される次第で、これについて劉煕載は「士気」が最上であると論じた。そして、婦気・兵気・市気・匠気・腐気・俳気・江湖の気・門客の気・酒肉の気・蔬筍の気と、多種の書気を列挙し、これらはすべて士の棄却するところだというのである。 

 士とは学徳ある人間の意であるから、学徳を実質とする人間内容が、書の上にあらわれたものがすなわち士気であろう。屠隆は「士大夫の画、世々ひとりこれを尚ぶものは蓋し士気なり」といっている。董其昌は「士人の画を作す」に、「甜俗の蹊径を絶去せば乃ち士気をなす」といい、惲寿平もまた「畦径に落ちざるこれ士気という」という。

 絵画の気を論じて、劉氏に相似た意見が鄒一桂に見られる。彼はそれぞれの気につき、一々説明を加えた。「一に曰く俗気、村女の脂を塗るが如し。二に曰く匠気、工にして韻なし。三に曰く火気、筆仗鋒芒太だ露るるあり。四に曰く草気、粗卒甚しきに過ぐ。五に曰く閨閤の気、描条軟弱にして全く骨力なし。六に曰く蹴墨気、無知妄作にして悪しきこと耐うべからず」。この鄒一桂の気論の中には、そのまま書に及ぼして考えるべきものがあろう。

 気は作者の意図にかかわらず、作品の形状を超えてその中核から容赦なく露顕するもので、作品の高下を根源的に決定する。金原翁の「表現せんとして表現するのでなく、表現せざらんとして隠しきれるものでない」という語は、まことに掩い難い気の消息をもの語るものともいえよう。

 佐藤一斎はいう。「人心の霊なるは気を主となす。気は体にこれ充つるなり。凡そ事を為すに気を以て先導となせば則ち挙体失措なからむ。技能工藝もまた皆かくの如し」と。