鑑賞の困難性
張懐瓘は当時の鑑賞のありさまについて、「かの聾俗は眼なく耳あり。ただこれ逸少ときけば必ず闇然としてはるかに伏す。何ぞ必ずしも見ることをもちいんや。見ると見ざると一なり。自ら高鑑すというといえども、かたわらより観れば三載の嬰児の如し。豈敢て鼎の軽重を斟量せんや。伯牙と子期とは相い遇うこと易からず」と、厳しい批判を下した。そして冥心玄照、閉目深視しなければ書の本質はわからないといっている。
孫過庭も、時の誤った鑑賞の状態を嗟き、古の琴の名人伯牙が、すぐれた鑑賞者子期に先立たれ、ついに琴の弦を絶ち切ったのはもっともなことだといい、蔡邕や孫陽は「玄鑑精通なるを以ての故に耳目に滞ら」なかったといっている。「文心雕竜」にも「知音はそれ難いかな。音は実に知り難く、知は実に逢い難し、その知音に逢うは千載それ一か」と鑑賞の難しさが述べられている。
竹田は「山中人饒舌」において大雅の書を評価し「大雅池翁の書画はともに高く時眼に入らず。没後に至りて声名隆起す」といい、特にその書について、「作る所の字は、画の下に在らず。しかるに価すこぶる低し。蓋し画はなお俗眼に入る。字はついに入らざるなり」という。ここに真に価値ある書が、時眼、俗眼にとって無縁であることが語られている。
斎藤茂吉は「和歌の鑑賞」と題して、こう述懐している。「単に和歌の鑑賞などというが、真に考えれば、これはなかなかむずかしい事である。常に調子をおろして、少年小女人を導くような態度でいるのは、これは此の論の圏外にある。けれども一たび対等の位置に立って和歌を鑑賞する段になると、常に考のぐらつくものであることは、私等がいつも経験している。人麿の歌でさえ、ひどく感服する時と、さほどに思わない時とある。私は、『人麿の歌でさえ』と此処にことわったので、読む人が怪しむかも知れぬが、一体過去にも現在にも、真に人麿の作を味わい得、批評し得る者が幾たり居るであろうか。これは私自身の鑑賞のありさまにも当てはまるので、時には慄然として恐愕をなすことがある云々」と。茂吉ほどの巨匠にしてなおこのような省察を示しているのである。
なおほかに鑑賞に関する二、三の説を補っておきたい。
岡潔は「人間の建設」の中に、次のようにその体験を語っている。
奈良の博物館で、正倉院のいろいろなきれを陳列していた。破れてしまっているきれの片々をていねいに集めて、丹念に紙にはってあるのです。それをこちらも丹念に見ていった。三時間ほどはいっていたでしょうか。外へ出て見ると、あのあたりにいろいろな松がはえておりますが、どの松を見ても、いい枝ぶりをしているのです。それまでは、いい枝ぶりの松なんか滅多にないと思っておった。ところが一本の幹につくその枝ぶりが、どの一つもみなよくできているように見えた。だから丹念に長いあいだ取り扱ってきたものを見ているうちに、自分の心からほしいままなものが取れたのぢゃないか。ほしいままなものが取れさえすれば、自然は何を見ても美しいのぢゃないか、云々。
この話の中に、鑑賞に関して意味深いことが語られている。まず美しいものへの没入がある。そして〝我見〟の脱落を来す。素直な心になり、きれいな眼になって見ると、対象そのものをさながらに感受し、純粋な鑑賞ができるということで、ここに鑑賞から鑑賞への道が考えられる。
山田担雪は、「鑑賞の道玄味」という文章の中に次のように記している。
日本刀鑑賞の道玄味は、その作者の心を見ることだと思う。それは作者の心が刀の造形や地刃についてどう働いているかを見ることである。そうすれば自然作者の心境を知ることが出来る。山岡重厚先生は、千年の刀を見ると自分が千年の翁になる、と申された。私の体験では、刀の実質の働きを精鑑しているうちに、刀も我もともに忘却して、ただその刀匠の心となって働いていたということに後で気付くのである。それが名刀であるほど清浄な歓喜が大きく残る。自分の心が名刀の実質と一つになって働いたから、その時は我即名刀であって、作者の心と同じ高さだったわけであろう。人生最高の時間だとつくづく思うことがある。
担雪翁は刀剣の研磨において、一頭地を抜き、恐るべき鑑刀の力を発揮されたが、その鑑賞体験において、右の述懐に見るような心境の高さに達したのであった。
また担雪翁は平生「名刀を所持すると、その名刀の持つ高さまで自分をひき上げなければいられない気持になり、どうしても捨身の修行をしないわけにゆかなくなる」と語られた。翁は、日本刀を中心とする武具類から書画に及んで、すぐれた藝術品を身辺にもたれたが、これらを法財として修行しぬいた、真乎の道人であった。
さて、大西克礼著「美学」に紹介されるヤンケ(Jancke)の説は、さきに挙げた二者の説に通ずるものがあるように思えるので、参考のために次にひいておく。
すべてわれわれの自我というものは、現実的世界との交渉に於ては、絶えずそこに生起するもろもろの事象に対して、或は否定し、或は獲得し或は征服せんとするような一定の態度をとる。而してまた現実界に於ける自我は、常にただ一面的にのみ解放されており、自己に適応しないような事実に対しては、いつも閉鎖されているものである。従ってそれは、常に「狭められたる自我」(“verengtes Ich”)であるに過ぎない。然るに「藝術」を体験する時の自我は、これに反して、そういう自己本位の闘争的関係を超越して、全面的に開放されている。それはあらゆる生起に順応して自己を拡大し、対象をそのありのままの相において、自己の中にとりいれ、これを自己に同化する。それは自己の狭隘なる範囲を脱け出して、藝術品の形成を通じて、その中に流れ込んでいるところの、作家の藝術的人格性の中に沈潜し没頭する。しかもそれはこの精神的過程において、かえって自己自身の「本来性」に立ち帰ることができるのである。この本来的なる自我は、他我と同化し、融合しつつ、人間性の底深く徹到し、かくして自己自身を超越することが出来る。これこそは完全なる人間性をそれ自らの中に包含するところの、真の意味における「人格性」としての自我である。