創作のこころ

 書の世界ではしばしば稿書が賛称される。王羲之の蘭亭序、顔真卿の三稿などがそれである。もとより稿書そのものは、いわゆる創作として制作されたものではなく、したがってそれは或は不用意故の難点をもつであろうが、しかしそこにいかにも躍如たる個性があらわれ、独自の創造的姿形が具現され、藝術的に鑑賞されるものであれば、稿書はそのままで一つの藝術品として認められるに至る。稿書が即藝術たり得るところに、書の特徴の一つがある。熟達した書人の創作的力量が、稿書においてより十全に発揮されるとすれば、稿書は創作の完成といってさしつかえあるまい。

 稿書がかえって神品となり得る所以のものは、その無心の働きであろう。王澍はこれを「天機自動」といい、「天真爛然」といった。「論書(よう)語」に次のように記されている。

古人の藁書最も佳なるは、その意、書に在らずを以て、天機(、、)自ら動き、往々神解に入るもの多し。右軍の蘭亭、魯公の三稿の如き、天真爛然、名貌すべきなし。有意もてこれを為れば、至る能わざること多し。正に李将軍の石を射て羽を没し、次日これを試みたるに、すなわち及ぶ能わざるが如し。ここに天然あり。未だ智力を以て取るべからざるのみ。

 東坡はいう、張長史の書は酔にまつところがあった。醒めているときは「天真不全」という状態で、そこにまだ酔醒の弁がある。羲之のごときはどうして酒によって天真を得るということがあろうか、と。ここにいう「天真全からず」とは、〝天機〟が十分に働かない意であろう。荘子は「その()欲深きものはその天機浅し」という。欲望的自己に執すれば天機の働きは期し得まい。荘子はここで、わがいわゆる天は人かも知れぬ。わがいわゆる人は天かも知れぬと語る。天は人と離れず、真人は天と一つである。

 また「荘子」秋水篇に次のような話がある。一本足の動物が、百足虫(むかで)をあわれんでいった。わたしはただ一本の足で自由にとびはねているが、君はどうして百ほどの多くの足を用いる必要があるのか、と。これに対して、むかでは、いやわたしはわたしの天機を動かしているだけで、百の足を何故必要とするか、またこの多くの足がどうしてうまい具合に動くのか、まったく関知せぬところだー「その然る所以を知らず」と答えている。それはただ天与の機能のままに無心に行動しているということであろう。書における運筆も「然る所以を知らず」しておのずから節にあたることが望まれる。しかし書作は動物の行動と異なり、精神作用と用筆の技術とが融合する全人的作用であって、唐の太宗が「その悟るに及んでや、心動き手均しく、円なるものは規にあたり、方なるものは矩にあたる。粗にして能く鋭、細にして能く壮、長きものは余りありとなさず、短きものは足らざるとなさず、思と神と会し、自然に同ず。然る所以を知らずして然るなり」という次第である。 

 宋の太宗は、「筆、手に随い、手、心に随い、心、法に随い、法、神に随う」佳境からさらに「筆、手を忘れ、手、心を忘れ、法、神を忘れ、神運する」に至ってこそ至極の世界であると論じている。無心の体験状態においては、手を忘れ、筆を忘れ、我なくしてただ神が運する。宗炳は「これを損し、また損して必ず無為にいたり、慾なく情なく、ただ神のみひとりかがやけば……身なくして神あり」という。書の創作も、身なくして神運することにならぬと所詮凡流を出ずることはできないわけであろう。

 荘子に見る庖丁の語は、およそ藝術の制作における心的状態の根本をついている。庖丁は文恵君に対して語る「方今の時、臣は神を以て遇い、目を以て見ず。官知止りて神欲行わる云々」と。「神を以て遇う」とは見るものなくして見、我なくして行うことで、宗炳のいう「身なくして神ある」ことであろう。虞世南の「筆髄論」には「書道は玄妙にして必ず神遇に資る」といい、また沈括の「夢渓筆談」には「書画の妙は当に神を以て会すべし。形器を以て求むべきこと難し」とある。庖丁の語「官知」とは、感覚器官による知覚である。「官知止る」とは常識的世界における知覚が消失するのである。そして「神欲」すなわち本来の心が働く。根源からの働きとして技術がものをいう世界である。なお「神欲行」については、「神行かんと欲す」と読むこともできるが、結局同様の意味になろう。

 さきに挙げた太宗の書論に、筆を忘れ、手を忘れ、一切を忘れることが説かれていた。そして「法、神を忘れ、神運する」という。真に神が運するためには徹底の「忘」が必要である。「荘子」達生篇には「足を忘るるは屨の適なり。要を忘るるは帯の適なり。知、是非を忘るるは心の適なり。内変せず、外、事に従わざるは会の適なり。適より始まりて而して未だかつて適せずんばあらざるは適を忘るるの適なり」という。書作はもとより筆の適を望むが、適を自覚するところに適はなく、適を忘るるところに真の適が存する。また「斉物論」には、南郭子()(とう)(えん)としてその耦を喪(わす)るる状態になり、ついに「吾喪我」(吾、我をわする)に至ったという有名な話が載せられている。「塔焉」とは無心のさまである。郭象はここに「すべて外内を忘じ、然る後に超然として自得するなり」と注している。東坡は、与可の竹を描くについて、竹を見て人を見ず、いや人を見ないというだけではなく、塔然としてその身を忘れ、その身が竹と化し、窮りなく精神が流出する。荘子ならここがよくわかろうが、今日いったい誰がこの凝神を理解できようか、と詠嘆しているが、このように制作における「忘」を重視する見解は荘子の思想を祖述するものである。大雅は「書の至妙なるものは、妙を得てまた妙を忘るるにあり。これ妙、神に入ると謂う。古往今来、書苑群英、その妙を得たる者は多からずとなさず。妙を忘るるものに至っては則ちこれを計るに僅々五指に出入するのみ。書の妙の難きは蓋しここにあり。学者すべからくこの意を体すべし」という。ここにも妙をさえ忘れてはじめて至極の世界であることが説かれている。

 なお荘子は「忘」に至る段階と方法について、孔子と顔回とに次のように問答させている。〈大宗師篇〉

顔回曰く、回や益せり。

仲尼曰く、何の謂ぞや。

曰く、回や礼楽を忘れたり。

曰く、可なれども猶未だし。

他日また見えて曰く、回や益せり。

曰く何の謂ぞや。

曰く回や坐忘す。

仲尼しゅく然として曰く、何をか坐忘と謂う。

顔回曰く、肢体をやぶり、聡明をしりぞけ、形を離れ、知を去り、大通に同ず。

此れ坐忘と謂う。

 このように荘子の説く「忘」は激しい行を通しての心身の打失である。林希逸は、この坐忘こそ禅家の公案であり、「吾、我をわすれたり」とはまたこの意であるといっている。忘とは解脱であり、解脱のところに真の自由がある。自在な生命的行為の展開は、この境界において期し得るのである。鈴木大拙は、偉大な藝術創作は神の仕事に近いものをもつ、そしてその高度の創作行為は「宇宙的無意識」において遂げられる、「宇宙的無意識」こそは神の作業場であるといっている。

 カール・グスタフ・ユングの「心の構造」「無意識の心理」等の著述の中に、無意識について興味ある陳述を見る。ユングは「創造力が旺盛のとき、人間の生活は、自由意志と対照的な無意識によって支配され形成される」といい、「創造作品は無意識の深奥部から生れるのだ」という。そして「無意識は時を問うことなく活動していて、本来の使命に奉仕するさまざまな材料をいろいろと組み合わせる。ただそれらの組み合わせは、意識が作り出す組み合わせに比して、微妙度や適用度においてはるかに勝っている」という。ユングはいわゆる無意識の深奥に「集合的無意識」の存在を認め、次のように述べる、――「集合的無意識は多くの経験の沈澱として、同時に経験のアプリオリとして、幾千万年にわたって形成されてきた一世界像であり、この像の中に、いわゆる『神話類型』がある」と。さらにこの「神話類型」の概念について「普遍人間的な原像のまどろむ無意識のより深い層の自己啓示が行われる。私はそういう形象乃至主題を神話類型と名づけた」と説く。なお「原像」については「人間各人の心の中には、個人の記憶のほかに、巨大な原像がある。この原像という言葉はヤーコプ・ブルクハルトが最初唱えた言葉である」といっている。

 C・G・ユングの「集合的無意識」は、仏教の唯識論の説くところの「阿頼耶識」に相当するといわれる。阿頼耶識は八識であり、蔵識と訳される。禅はこの阿頼耶識を破砕せよという。そして唯識はさらに九識として「菴摩羅識」を考える(白浄・無垢の意)。そして阿頼耶識の底をぶち抜いたところに真の無我の働きがあるとされる。

 造形の追求、構想の推敲等の意識的研究は創作のために必要である。しかしそれが創作行動の時間に入って、なお表面にちらつくと、制作の完遂にかえって支障を来す。それらはひとたび無意識下に沈澱し、やがて無我の光明に照らされて、おのずから制作の舞台に登場するものでなければなるまい。それがいわゆる「無分別の分別」であり、「無意識の意識」の働きなのである。 「三冊子」を見ると、芭蕉は「句作になる(、、)する(、、)とあり。内をつねに勤めて物に応ずれば、その心のいろ句となる。内をつね勤めざるものはならざる故に私意にかけてするなり」と教えている。芭蕉の句は「内をつとめ」「なる」創作であつたか。書の創作もやはり「私意にかけてする」のではなく「なる」ところに理想があろう。