四料簡と臨書

 王澍は「臨古は須らく是れ我無かるべし」といった。「我」があると、己れのはからいをもって古典とかかわり、「虚而委」という態度で古人の節に赴くことができない。それは帖を鈔するということで、帖を臨するということではないという。ところが彼は同時にまた「臨古は須らく我有るべし」と全く逆のことをいうのである。「我有り」というところがなければ、ただ点画を模写するだけの話で、そこに神采は見られない。それは墨工槧人の仕事だ。わが書業においてどんな意味があるだろうかといっている。つまり「有我」と「無我」と、この矛盾の合一したところに真に臨書の功があるというわけである。

 随園は「人と為りには以て我あるべからず。我あれば則ち自ら恃み很用するの病多し。孔子は所以に固無く我無きなり。詩を作るには以て我無かるべからず。我無ければ即ち(そう)襲敷衍の敝大なり」といい、石濤はまた「墨海中に在りて、精神を立定し、筆鋒下に生活を決出し、尺幅上に毛骨を換去し、混沌裏に光明を放出すれば、たとい筆、筆たらず、墨、墨たらず、画、画たらざるも、おのずから我の在るあり」「我は自ら我の肺腑をひらき、我の鬚眉を掲ぐ。たとい時ありて某家に触着するも、是れ某家の我に就くなり」といっている。

 臨古は須らく我無かるべし、又須らく我あるべしという王氏の説はあたかも臨済の「四料簡」を思わせる。四料() (又は揀)は臨済の宗旨の根本をなすものとして有名である。それは、自己と対境とのかかわり方を四つに分けて述べたものである。「料簡」とは、はかりえらぶという意味。

一、奪人不奪境  人を奪って境を奪わず

一、奪境不奪人  境を奪って人を奪わず

一、人境倶奪   人・境倶に奪う

一、人境倶不奪  人・境倶に奪わず

 ここにいう「人」とは現実の個人であり、「境」とは「対境」である。臨書は、臨書する個人と、対境たる古典との関係であるから、四料簡を臨書行為に当てて考察することができると思う。

 さて四料簡の第一は「奪人不奪境」で、人を奪い去り、境をそのままにする、つまり自己を否定し、対境を肯定する場合である。これを臨書に及ぼせば、徹底して我見を抹殺し、古典に没入する立場と考えてよかろう。さきにいう「臨古は須らく我無かるべし」である。西田幾多郎はその著「日本文化の問題」において、「其はただ物にゆく道こそありけれ」〈直毘霊〉という本居宣長の語を挙げて、物の真実にゆくということ、己れを虚くして物の真実に従うことだと述べている。西郷信綱はまた「物にゆく道」を宣長理解のカギとし、「物にゆく道とは、知覚的、経験的現前における()そのもの(、、、、)()把握(、、)という主題を紛れもなく志向するものである」といっている。

 第二の「奪境不奪人」は、まさに第一の反対であり、どこまでも自己を肯定し、客観世界を否定するのである。あくまで主観を立てて、古典をこちらに従属せしむるごとき立場である。さきに挙げた王氏の「臨古は須らく我有るべし」である。梁山舟は「試に看よ、晋唐の書家、一として似たるものありや否や。羲献父子も同じからず。蘭亭を臨するもの、千家各々同じからず」といい、「今人は古人の書をもって一々模画すること小児の仿本を写すが如し。すなわち形似のみ。豈また我あらんや」と、臨古の我あるべきを主張する。

 劉煕載はいう、書は神に入るを貴ぶが、その神に「我神」「他神」の別がある。他神に入るとは、我が化して古となることであり、我神に入るとは、古が化して我となることであると。我を滅却して他神に入り、古典そのものとなるのは「奪人不奪境」であり、古典が融けて我神に入り、独自の世界が現成すれば「奪境不奪人」に近かろう。

 第三は、「人境倶奪」。主、客双つながら否定した場合である。古人はこの境地を歌って、「鐘も鳴らない撞木も鳴らぬ鐘と撞木の合いが鳴る」という。この絶対無の世界は絶言絶慮であるが、強いていえば筆者と古典との合い(、、)において臨書を行じている状態ということになろう。

 第四は「人境倶不奪」で自己と対境とともに肯定する、「鐘も鳴ります撞木も鳴るよ鐘と撞木で音がする」という法爾自然の世界である。古人はこの境をかの曽晳の境涯に擬している。孔子が幾人かの門人に希望を語らせたとき、皆大言壮語するので孔子はわらった。最後に曽晳(曽参の父)が(こう)()として瑟をおいて答えた「暮春には春服すでに成り、冠者五六人、童子六七人を得て、()に浴し舞雩(ぶう)に風じ、詠じて帰らん」と。春暖き好時節、軽快な服装で、十数人の道友たちと一緒に小旅行にでかけ、のびのびと温泉をたのしみ、いい風景をめでつつ、コーラスでもやりながら帰ってきたいものです、というほどの意味である。孔子は()然として、わたしは曽晳に大賛成だといったという。我も他人も、人も自然も、ともに生かす怡悦の境こそ大聖の願うところであった。己れの見解を生かし、古典を生かす、古人と眉毛相結び手をとり合う、ここに臨書の妙境があろう。

 鈴木大拙の「臨済録の思想」という論文がかつて「哲学季刊」に発表された。大拙翁は「四料簡は、畢竟ずるに〝人境倶奪〟の処に〝人境倶不奪〟を見んとするものである。或は逆に言って、〝人境倶不奪〟をそのままにして〝人境倶奪〟の世界に住するものである。それで〝奪人不奪境〟の有時があり、〝奪境不奪人〟の有時がある」と四料簡の肝腎にふれる見解を示した。

 「鞍上人なく鞍下馬なし」という。人と馬と全く一体となったところで、そこに人もなく、馬もない。まさに〝人境倶奪〟ある。この人もなく馬もない状態こそ実は乗馬の妙境であって、そこには最も善く乗る人があり、最も善く走る馬があるわけであって、それは人境ともに奪わずということになろう。人も馬もない平等の世界と、人もあり馬もある差別の世界とが一つになっているところを古人は「明暗双々底」という。人もなく馬もなく、

 ただ鞍のみ動いてゆく。書く者もなく、書かれる文字もなく、ただ筆のみが動く。筆がおのずから転動する。このとき、自分の有する技術は十全に働き、一点一画は真に活きた表現となる。書人はこの体験をかえりみることができよう。おのずから筆が動くといっても、みずから筆を運ぶ事実は厳として存するわけである。たしかにみずから筆を運ぶのであるが、そこに自己を超えたものの働きを来しているのである。〝みずから〟と〝おのずから〟とが、一致している妙境である。〝みずから〟と〝おのずから〟との一致したところに真の自由(、、)が存する。ここのところが書的行為を遂げる上に非常に大切であり、篤と工夫を要するところである。

 四料簡は、そのいずれにも固着するときその生命を失う。四つの立場に出入する自由な働きが大切なのである。臨書行為の上に、四料簡の道を修することが可能であり、四料簡の心法工夫はまた臨書の内容を深くし、さらに臨書を超えてその書業を進展せしむるに違いない。