臨書の態度
「法書要録」に、羲之の楽毅論は梁の時代に摸出し、蕭子雲、阮研をはじめ書人たちの臨学しないものはなかった、と記されている。臨学とは臨書のほかに、広く眼習い、模写などをふくむと考えてよかろう。
東坡は「自ら新意を出し、古人を践まず、これ一快なり」といっているが、黄山谷によると、若いとき二王を学び、中歳顔真卿を臨写し、晩年は李北海を喜んだという。天資豊かな東坡にして、やはり先人の書を学んだのである。先人の書を学ぶことが臨学である。
臨学の中心は臨書であろう。古人の論書に「臨古」「臨帖」「臨写」などの語があらわれるが、これらは臨書と解してさしつかえあるまい。姜堯章は、臨書の「貴ぶところは詳謹」であるとし、王澍はまた「一字を作る毎に敢て軽心を以てこれを掉さず」といい、「臨書者は正に未だ軽心を以てこれを掉すべからず」と戒めている。この軽心を以て掉さずという語は柳宗元にもとづく。柳氏の「与韋中立論師道書」と題する文章の中に「吾、文章をつくる毎に、未だかつて敢て軽心を以てこれを掉さず。その剽にして留まらざるを懼るればなり」と述べられている。 なお臨書経験を記した古人の題跋には「浮情をおさめ、精神を整束して」とか「必ず襟を正し、危坐し、志を用いて分たず」という語が見られ、その粛然たる臨書態度が察せられる。また臨書にあたって「斎宿、敢て落筆す」とも記されている。斎宿とは斎戒越宿、つまりものいみして一夜を過すことである。