「お父さん、ご本が刊行されるんですってね。それまで頑張らなくてはね。」

 「オレはもう読んだからいいんだ。」

 姉はそんな会話を父と交わしたと言っていました。肺炎で入院する二、三カ月前のことだったでしょうか。その言葉どおり父は選集の上梓されるのを待たずに逝ってしまいました。

 細菌性肺炎で三十五日ほど入院しておりましたが、その間論語を枕頭に置き読んでいました。長年読み続けた文庫本でしたので、韋編三絶状態でした。ある時ベッドから落としてばらばらになってしまいました。父は新しい論語を買ってきてくれと言いました。誤嚥性肺炎を虞て食事も禁じられているにもかかわらず、論語を更に繰り返し読もうとする姿勢には驚きました。以前雑誌『致知』のインタビューに応えて「前進、前進、また前進」と言ったことがありましたが、論語の逸話は父の生き方の象徴的な出来事のように思われました。

 ある日、瀬川さんが分厚いファイルをお持ちになったとき、何の資料なのか訝しんだのを憶えています。それが以前に父が出版した書籍や発表した論文等の著述を、瀬川さんが蒐集しデータ化しプリントアウトなさったものであることを知り、驚くとともに費やされた莫大な時間と労力を思い、そのご努力に敬意を禁じえませんでした。たかむら会会員皆様の総意で父の著作集を『吉田鷹村選集』として刊行していただけることを知り、感謝の気持ちで胸を熱くいたしました。

 選集の原稿となるそのプリントを、父は驚くべき集中力で読み返し、或は削除し或いは加筆し、熱心に訂正の朱筆を入れていました。

 「今読むとマズイところもあるが、仕方ないな。」と言って、父は校了したのでした。姉に「オレはもう読んだから」と言ったのは総てに目を通した安堵感だったのでしょうか。自らの人生の総括だったのかもしれません。

 晩年の父は、私の家内が介護関連の経営をしていることから、ほぼ毎日職員やヘルパーさんの介護を受けながら文字どおり悠々自適の日々を過ごしていました。腰痛と脚の痛みはありましたが、毎日のように車椅子に乗り途中降りて車椅子を押しながら数百メートル歩く散歩を楽しんでいました。時折訪ねてくださる方々と昼食を共にすることもありました。そして何よりも楽しみにしていたのはたかむら会の研究会でした。前もっての準備にも細心の注意を払い、展示する作品の吟味も怠りませんでした。研究会の席上での父は普段くつろいでいる姿とは全くの別人のように感じられました。会員の方々の作品を評する際の炯眼は白寿に垂んとする老人のものとは思えませんでした。研究会後、会員の方と車椅子の散歩をするときには柔和な目に戻っていました。

 選集が刊行されます過程ではたくさんの方々にお世話いただきました。出版をお引き受けくださった論創社には武山さんの中学の同級生でいらっしゃる北村さんがお勤めですし、担当の相根さんも誠心誠意取り組んでくださり、感謝に堪えません。校正もたかむら会会員の皆様が分担して精力的になさってくださったとうかがいました。皆様の甚大なるご尽力に与りお礼の言葉もありませんが、心から感謝申し上げます。有難うございます。

 多くの皆様のお蔭で父の著述が纏められ刊行されることが、多くの方々の勉学に資するなら ば、追憶のよすが以上の意義を覚える次第です。

吉田 剛
『父のこと』 (吉田鷹村選集【第三巻】より)